修羅場体験談:病気に次ぐ病気、手術に次ぐ手術、なぜこんなに修羅場が続くの
最初は大動脈乖離でした
その日は10月30日。普通の休日のはずだった。
ペットの犬と一緒にソファでくつろいでいた。
午後2時6分、休日の午後を過ごしていた私は突然下半身がドンという音とともに
違和感を感じた。
立ち上がってみたが下半身からすうっと力が抜けていくような感じを受け。
ベッドのある部屋に向ったがその時はすでにうまく歩ける状態ではなく
ベッドに倒れこんだ。
痛みはなく、ただ下半身に感覚がない状態であった。
心臓だけはどくどくと激しく脈を打っていた。
これは尋常な状態ではないと思った私は、スマホで救急車を要請した。
今の状態、住所氏名などを伝えた。なぜか冷静であった。
そして救急車を待つ間、ふと玄関の鍵がオ-トロックなことに気づいて、
私は玄関まで手の力だけで這って行き体を半分ドアに挟み込んだ。
そして外出していた女房に電話をかけた。
女房は実家の母が誕生日なので静岡の百貨店にいた。
話し方が異常な私にすぐ帰るからと言った。
玄関に出てから10分後ぐらいで救急車のサイレンが聞こえてきた、
ほっと安堵したことを覚えている。
救急隊員がかけつけて来た。
ここにいるぞ!外に出てる!そして収容先の病院を相談している様だった。
病院についてCTをとり心臓だ動脈乖離の診断がなされて、
急遽13名の医者がかりだされて10時間におよぶ大手術が開始された。
心臓に人口血管が埋められた。
その時普通だったら死ぬほどの激痛のはずが、なぜかまったく痛くなくて
下半身の感覚が無いだけで済んだのは不幸中の幸いであった。
手術が終了した後も、傷口は閉じられず、翌日の再手術で閉じたらしい。
強い麻酔が効いていたので、丸々2日間は眠ったままであった。
2度目は声が出なくなった。
心臓手術の後遺症で声帯を傷つけため、私は手術のの翌日から
声がほとんど出なくなった。
蚊の鳴くような声しか出ず。
いつも一緒にいてくれる女房がやっと理解してくれる状態でであった。
ある意味心臓の手術の時よりショックは大きかった。
心臓は人口血管を入れ、状態は以前に戻ったが。話は出来なくなった。
ノ-トに文字を書いてコミュニケ-ションを撮らざるを得なかった。
その後喉の専門医のお陰で声帯の手術を行い何とかしゃべれるようになったが
高音が出づらく、カラオケは遠い世界となった。
3度目は進行性核上性麻痺となった。
心臓手術の後遺症で軽い脳梗塞に担った私は進行性核上性麻痺になり
歩行困難になり方向転換がしづらくなり小走りで転倒しやすくなり
手術からしばらくたった頃、部屋で顔から転倒して目を激しく打って
左目が見えなくなった。
翌日入院して手術をし、現在は完全に見えるように回復した。
進行性核上性麻痺は現在病名通り少し進行しており、杖が必要な状態となっている。
車椅子の検討もしている。
現在は障害者施設で働いている。
4度目は心臓動脈瘤で再手術。
心臓の手術の後1年目ごろに、他の場所で血管が詰まっている場所が発見されて、
また全身麻酔でカテ-テル手術を行った。
手術は成功して。もう再発の心配はなくなった。
4度にわたって、ぞっとするような経験をした私だが、
今は進行性核上性麻痺で歩きにくくなった他は、元気に回復している。
命拾いをしたことを病院の先生、いつも付き添ってくれた女房、
娘たちに感謝して残りの人生を大切に生きようと思っている。